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クロエsam長財布編集

 久蔵も腕白ではあったが殺人まではやっていない。講道館にはすごい人がいるものだと思った。 「講道館柔道が柔術を制圧したのは、今から二十年近く前のことだが、特に目立つ働きをしたのが西郷四郎さんと横山作次郎さんだ」  西郷四郎は明治十九年の警視庁武道大会で戸塚揚心流の|好地《うけち》円太郎とたたかい、みごと山嵐に|屠《ほふ》ったし、横山作次郎は良移心当流の中村半助と相対し優勢な勝負をした。同流の|業師《わざし》照島太郎とたたかったのは講道館の|宗像《むなかた》逸郎であり、このほか富田常次郎、山下|義韶《よしあき》、岩崎法賢らも出て柔術家たちを圧倒している。  横山作次郎と中村半助との試合がことに語り草になっているのは、中村が警視庁武術世話係(師範)の中でもずば抜けた怪力の実力者だったからである。筑後の生まれで三十三歳、身長が五尺七寸五分(一七四センチ)で体重が二十四貫三百(九一キロ)、優に三人力はあるといわれた。これに対して横山は五尺五寸八分(一六九センチ)二十貫(七五キロ)、東京・練馬の農家の生まれで当時は二十六歳である。横山はこの試合、「天狗投げ」と呼ばれる豪放な技で何度も中村をよろめかせ、観衆の目をみはらせた。 「前田さんは横山先生に稽古をつけてもらいあんしたか」 「二、三本な。さわったとたんにはじきとばされたよ。しかし今はあまり立ち合われない」  三十九歳だという。 「横山先生が講道館一なら、今は講道館流柔道にかなう流派はないから、日本一ということであんすね」 「まあ、そうだ」
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