擁壁2m以下
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null  ゴールド・スター・マザーからの訴えは、その「デモクラシーの敵」運動の戦後版として、まさにぴったりの課題ではあった。彼は新聞コラムや放送を通して東京ローズ再入国反対運動に乗り出す。彼はトルーマン政府のこの事件への処理を非難し始めた。そしてそれは、一年前、アイバの反逆罪起訴取下げを決定した司法省関係者を非常な不安にかりたてた。  もし、大衆のヒステリックな反響や、ウィンチェルの口出しがなかったら、アイバは多分旅券を手に入れていただろう。  十月二十四日、司法省のヴィンセント・クイン司法次官補は、四日前に受け取った国務省旅券部長の手紙に答えて、「司法省としては、ダキノ夫人に反逆罪の逮捕状を出す意向はないと結論した。よって、司法省としてはダキノ夫人に旅券を発行することに異存はない」と返答していたからだ。アイバの帰国は今一歩というところまできていたのである。しかし思いがけない反響に驚いた司法省は、この結論を取り消そうとしていた。わけてもクラーク司法長官は、ウィンチェルを敵に回すことを極端に恐れていたようだ。  十二月四日、明らかにクラークの命を受けたカーター州検事は、二十世紀フォックス社長ジョセフ・シェンクにウィンチェルとの会見を依頼している。  その日の午後、カーターがシェンクのオフィスに入って行くと、そこには、一九四五年九月、アイバを反逆罪に起訴すべしと公に声明した最初の公人たるチャールズ・カーも同席していた。カーはシェンクならびにウィンチェルの友でもあったのだ。カーを含む彼らは、すぐウィンチェルのオフィスへ向った。  このウィンチェルとの会見を、カーターは次のようにクラークに報告している。 「私はラジオ東京からは六人ほどの女性アナが放送していたが、アメリカ人はたった一人、すなわち|ローズ戸栗《ヽヽヽヽヽ》であったと述べました。ウィンチェルはそれらの事実はすでに知っているといい、なかなか興味深い話を雄弁に長々と続けました。……その時私は、過去において貴下とウィンチェルの間に、なにか行き違いがあったのではないかという印象を受けたのです」(カーターよりクラーク宛書簡、一九四七・十二・五)  その時、ウィンチェルは、次のようなことをカーターに明らかにした。すなわち司法省は、東京ローズのような人物を「なんとかすべき」であり、むざむざ彼女を帰国させるようなことがあったとしたら、それはひとえにクラークの責任だというのだ。  ウィンチェルがクラークに腹を立てていたのは、まったく些細なことからだった。数年前、ウィンチェルとクラークは、二十世紀フォックス社主催の昼食会で一緒になったことがあった。コラムに使うべき話を捜していたウィンチェルは、クラークに次の司法長官に任命される可能性を打診した。クラークはその数日後に任命されたのにもかかわらず、はっきりとした答えをしなかった。「ウィンチェルは貴下が司法長官になれるよう大いに宣伝してやったのに、それに対するちゃんとした感謝の言葉はいっこうに聞かれなかったという意味のことをいいました」(同書簡)とカーターは書いている。  話がひと区切りついた時、カーターはワシントンで報道陣に公表した東京ローズに関する声明のコピーを取り出して、ウィンチェルに見せた。「彼は興昧深げに目を通したのち、東京ローズの帰国は許可されないと知って満足だと述べました」  カーターの書簡は続く。 「私は東京ローズの弁護をしようとしているのではないことを繰り返し、今後ますます国内および外国において、反愛国的または有害な行動に出るアメリカ人の摘発に活躍することを期待するが、法にたずさわる者として、十分な証拠がない限り起訴をすすめるわけにはいかないのだと説明しました」。すると「カー氏が、終戦時、彼が東京ローズ起訴要求の声明をしたのち、世界中のGIから、それを非難し、東京ローズは彼らの士気を低下させたのではなく、反対に|盛り上げ《ヽヽヽヽ》てくれたという多くの手紙を受け取ったことを話しました。ウィンチェルはこれに対して、多分彼らは|コミュニスト《ヽヽヽヽヽヽ》に違いないと返答しましたが、カー氏はその意見に賛同せず、かなりウィンチェルを動かしたようでした」  カーのあの時の声明は、アメリカ大衆の排日感情をあおり彼らには受けても、実際に戦時中ラジオ東京を聞き、被害を受けた犠牲者《ヽヽヽ》であるはずの当のGIたちの支持はなかったのである。  カーターは最後にもう一度、東京ローズの件を持ち出し、「十分な証拠もなく政府が起訴に持っていき、裁判の結果が公訴棄却、または無罪と出た場合には|まずい事態《ヽヽヽヽヽ》になる」ことを暗示した。ウィンチェルは「それは起訴に持ち込むよりまずい」と同意見だった。カーターによると、二人は親しみをこめて別れの挨拶をかわした。  カーターがこの時、ウィンチェルに見せた東京ローズに関する十二月四日の公募とは、次のようなものである。「反逆罪証人を求む——ワシントン発——アイバ戸栗郁子が東京ローズとして放送中のところを見た人または放送された声を覚えている人は、誰でも速やかにFBIに連絡して欲しいと本日FBIは声明した。FBIによると、アメリカ生まれのこの女性が東京ローズらしいと今までいわれてきたが、現在にいたるまで立証されてはいない。……しかしながら、FBIの調査は現在も進行中であり、できれば大陪審に持ってゆくつもりだとFBIは語っている。なお、ダキノ夫人の再入国は現在のところ許可されていない」(ニューヨーク・タイムズ紙、一九四七・十二・四)  この公募は、同日付で全国の主要紙を飾った。ここにいたって司法省はアイバの再入国に対する考えを変えたばかりではない。一年前にはっきり公に取り下げたはずの告訴の再考に入っていたのである。再度にわたる取調べの結果、東京ローズは少なくとも六人の女性アナの声の合成であり、アイバはその一人に過ぎなく、かつその放送内容はまったく無害だったと一年前に結論し、無条件で釈放した司法省がである。|新事実が出て来たからではなく《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、大衆の声というよりは一部の排日家および極右派に押され、一コメンテイターたるウィンチェルを恐れて、その結論をくつがえしたのだ。その司法省の一機関であるFBIを通して裁判に持ち込む意向を示し、東京ローズ裁判の証人を公募したのである。